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作り手の眼(鈴木 蔵の眼)

館長日記2020.03.17

国宝に指定されている数少ないやきもの(縄文土器を除けば14個、うち中国製8、朝鮮製1、日本製5)の中に、
志野茶碗「卯花墻」がある。
残念ながら実作品にお目にかかったことはないが、書籍では何度も眼にしてる。
正面から撮影された写真と高台を写したものが多いが、写真で見るだけでもその力強さに圧倒される。

「卯花墻」については多くの評論があるが、陶磁学者や学芸員の文章が多数と思われる。
曰く、「戦国乱世が統一され、平和な世の中が到来して経済も発展し、桃山文化と言われる絢爛な文化が沸き起こり、
日本独特の茶の湯文化が隆盛になる中で、中国のそれとは異なる白い焼き物への渇望が生まれ・・云々。」
または、「表面の長石釉はしっとりとした釉調を見せ、力強い鉄絵の筆致と迷いのない高台の削りは・・云々」といった表現によく出会う。

おそらく、こういった表現をする陶磁学者や学芸員は実作品にお目にかかれた幸運な方々であろう。
写真でしかお目にかかれない地方住まいの私からすると、作品が生まれた時代背景なども重要だが、
「卯花墻」それ自体が持つ美の本質や力(凄味)に踏み込んだ評価は、彼らの表現には殆ど見当たらない。
どうしても、彼らの評価や視点には「隔靴掻痒」の思いがついてまわる。
ひとつの作品として、何故「卯花墻」が国宝に位置できるのか、
同時代の志野の作品と何が違うのか、批評家の文章ではよく分からないところがある。
個人的には鼠志野の「峰紅葉」(重文)のほうが好みだが、もちろん比較するつもりではない。

そんな中で「卯花墻」の凄みを我々にもわかりやすく、それこそ「腑に落ちる」ように語ったのは、
「志野焼」で人間国宝に認定された鈴木蔵氏だった。
氏の解説は鑑賞者の目とは異なる、作り手の眼からみた非常に納得がいく視点でかつ全く新しい解説だった。
曰く、「この茶碗を横からいくつかにスライスして並べ、元の形に戻そうとしたらほとんど不可能に近い。
それほど作り手の作為に満ち満ちた茶碗」(要約)という表現で、数多くの評論家の視点と比べ、
実にこの茶碗の根本を押さえた視点で感動した記憶がある。
さすが「志野の人間国宝」と思った。
個人的には、鈴木蔵氏のこの解説以上に分かりやすく、根本的な評価にはまだ出会っていない。

志埜茶碗 鈴木蔵

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